3.04.2009

【序文】「ウォッチメン」原作コミックについて

アメリカンコミックスの頂点として誰もが認める一作、それが『ウォッチメン』である。『ウォッチメン』が発売されたのは1986年、発売元のDCコミックスにとって、後に奇跡の1年とも称される年だった。

バットマンの最期を描き、その後のコミックスの流れを決定付けた『ダークナイト・リターンズ』スーパーマンの再生を果たした『マン・オブ・スティール』バットマンのオリジンを再定義した『イヤーワン』そして『ウォッチメン』が次々と発表された、コミックスの歴史に残る1年だったのである。
とはいえ、その1年は突然変異的に訪れたのではない。その種は5年近くの時をかけて成長を続け、花開いたのだ。

当時、アメリカのコミック業界は、かつてない熱気に包まれていた。半世紀の間、子供の読み物としてメディアの最下層にあったコミックブックが、大人の鑑賞に堪えうるメディアとしての地位を確立しつつあったのだ。
そのきっかけを辿れば、1977年の『スター・ウォーズ』公開にまで遡れる。突如、SFがブームとなり、その一分野としてコミックスにも注目が集まるようになったのだ。
翌78年にはスーパーマンが超大作映画になり、SFグッズやコミックスのバックナンバーを扱うコミックショップが各地に誕生した。そして、これらコミックショップの誕生がコミックスのあり方を大きく変えて行くことになる。

コミックショップが姿を見せ始めた70年代末、大人のファンの目を引いたのがマーベルコミックスの『X-メン』だった。クリス・クレアモントとジョン・バーンの手による『X-メン』は、ストーリー、アート、キャラクター、そのいずれもが従来のコミックスの枠を脱した意欲作だった。
『X-メン』の成功は、若き作家たちを発奮させ、彼らは競い合って情熱を作品にぶつけた。『デアデビル』のフランク・ミラー、『ニュー・ティーン・タイタンズ』のマーヴ・ウルフマン&ジョージ・ペレス、『ムーンナイト』のビル・シンケビッチ、『アメリカン・フラッグ!』のハワード・チェイキン、やがて彼ら若手作家陣は80年代のコミックス業界を牽引する存在となっていく。

その一方で、当初、各出版社がコミックショップに抱いていた認識は、返本がない有難い売り場、という程度のものでしかなかったが(従来のコミックスの売り場である新聞スタンドや駅の売店では、売れ残り分は返品されたが、それらと業態の異なるコミックショップは、返本のない買い切り制だった)、やがて、その可能性が注目されるようになっていく。そこに大人のマニアが集まるならば、彼らに向けた商品を開発すれば新たな市場が開けるのではないか、出版社もまた、そこに新たな可能性を見出したのである。

各社の反応は早かった。まず、マーベルコミックスが1981年に『ダズラー』で参入。DCも翌82年に『キャメロット3000』で、ダイレクトマーケットと呼ばれるようになったこの新市場に参入した。
これら新規マーケットの誕生は出版社だけでなく、作家陣にとっても歓迎すべきものだった。なぜならば、ダイレクトマーケットで販売されるコミックスには、コミックスの内容を制限するコミックスコードが適用されなかったからである。暴力や性描写など、子供に望ましくないと思われる内容を厳しく規制するコミックスコードは、長年、アメリカのコミックスの足枷となってきた。いわゆるスーパーヒーロー物ならばともかく、大人に向けた作品を作るにはコードは障害でしかなかったのである。過去にもコードの規制を受けない、大人向けのコミックスはあったが、売り場を制限され、拡がりにも限界があった。それがダイレクトマーケットの登場で状況が一変し、また読者もそんな新感覚の作品を求めるという、送り手の側にも、受け手の側にも理想的な状況が生まれたのである。

こうしてダイレクトマーケット向けの作品が増える一方、通常のコミックスの内容もまた進化していった。向こうが面白そうなことをやってるのに、こっちが黙っているわけにはいかない。そんなライバル意識がプラスに働いたのである。80年代に入ると、子供の頃からコミックスを読んで育ったマニア層が送り手の側に回る時代になっており、読者のマニアもまた、その流れを大いに歓迎した。
日本で言えば『宇宙戦艦ヤマト』の登場でアニメマニアが生まれ、そのマニアが今度は作り手側に回って『超時空要塞マクロス』を作る、それと似た状況がアメリカのコミックス業界にも起きていたのである。

その流れの中で登場したのが『ウォッチメン』の原作者であるアラン・ムーアだった。
同じく変革期にあったイギリスのコミック界で頭角を現したムーアは、1983年にDCの辣腕編集者レン・ウェインによってアメリカに招かれた。当時、マーベルの『X-メン』に並ぶ人気を誇った『ニュー・ティーン・タイタンズ』の編集長だった彼は、自らが原作を手掛けたホラーコミック『サーガ・オブ・スワンプシング』のライターにムーアを抜擢したのである。
ムーアは、『マーベルマン』『Ⅴ フォー・ヴェンデッタ』などで、イギリスのコミック界を席巻していたが、アメリカでは無名の存在であり、まして外国人のライターの起用は異例の事態だった(同時期にイギリスのアーティストたちもDCで活動を始めているが、ライターはムーア一人だった)。
ムーアの起用は、人気の下がっていた『スワンプシング』だからこそ可能だったとも言えるが、ムーアの参加で同誌は瞬く間に人気を上げ、俄然注目の的となった彼は、様々なタイトルにゲストライターとして招かれるようになる(とはいえ、あくまでもまだ"驚異の新人ライター"という位置づけであり、マーベルの『デアデビル』で人気を爆発させたフランク・ミラーらトップクリエイターの域には達していなかった。一方でDCは、ミラーにはかなり気を使っていたようで、83年に発表されたミラーのSF時代劇『ローニン』、そして86年の『ダークナイト・リターンズ』ともに、従来の雑誌形態とは異なる新規の豪華フォーマットを用意して迎えた程である。ムーアが押しも押されぬトップに立ったのは、『ウォッチメン』発表後のことだった)。

こうして業界が日増しに熱気を帯びる中、DCは記念すべき創立50周年の年、1985年を迎える。
1985年、DCは1年がかりで、DCのほぼ全てのタイトルとクロスオーバーする超大作『クライシス・オン・インフィニット・アーシズ』を発売した。反宇宙からの脅威アンチ・モニターに、DCの全ヒーロー、全悪役が立ち向かうという壮大なこの作品は、DCユニバースをあらゆる読者にとって魅力的なものに再生するという大命を帯びており、その内容だけでなく、DCコミックスという出版社自体が大きく生まれ変わろうとしていることを、ファンに強くアピールした。
そして『クライシス』終了直後の86年3月に発売された『ダークナイト・リターンズ』創刊号で、DCの変革は誰の目にも明らかになった。それまで、DCは幾多のダイレクトマーケット向け作品を発表してきたが、会社の看板たるスーパーヒーローをテーマにしたものは皆無だった。せっかく自由に創作できるならヒーロー物以外でという気持ちが作家陣にあったのかもしれないが、何より出版社として彼ら看板ヒーローはアンタッチャブルな存在だったのである。だが『ダークナイト・リターンズ』におけるバットマンは、かつてない程に冷酷非情で戦いに飢えたダークヒーローとして描かれていた。誕生から40年近くも経った、言うなれば親の世代のヒーローであるバットマンに、まだこんな魅力が隠されていたのか。読者は驚きながらも新たなバットマン像を熱狂的に支持した。そして『ダークナイト・リターンズ』と入れ替わるようにして、同年6月に登場したのが、スーパーヒーローそのものの概念を根底から覆す『ウォッチメン』だったのである。

従来のDCユニバースとは異なる独自の世界を舞台にした『ウォッチメン』は、バットマンという大物ヒーローが主役の『ダークナイト・リターンズ』に比べると、当初こそ注目度は決して高くはなかったが、巻が進むにつれ評判が評判を呼び、シリーズ終了を待たずして、テーブルトークRPGの企画が走り始める程だった。歴史が作られる瞬間に立ち会っている、読者の誰もがそう感じていたのだ。
87年6月にシリーズが終了すると、『ウォッチメン』はすぐにペーパーバックにまとめられ、『ダークナイト・リターンズ』『ローニン』『スワンプシング』とともに一般書店の棚にも並んだ。当時、アメリカの書店にコミックスが置かれることは極めて稀であり、久々にコミックスを目にした一般読者はその変貌振りに驚きを隠せなかった。こうして一般層をも巻き込んだコミックスの"ルネッサンス"は、89年の映画『バットマン』公開で一つの頂点を迎えることになる。

X-MEN



The New Teen Titans



Moon Knight



American Flagg!



Daredevil



Ronin



The Dark Knight Returns



Batman:
Year One



Superman:
Man of Steel



Crisis on Infinite Earths


ムーアらがアメリカンコミックスの世界に変革をもたらしてから四半世紀以上が経過した。コミックスの地位は確実に向上し、今やTVや映画の脚本とコミックスを掛け持ちするライターも珍しくない。変革の中心人物だったフランク・ミラーは、映画監督としても活躍しており、ムーアの諸作は次々とハリウッドで映画化されている。現在のコミック業界の姿が彼らの望んだものかどうかはわからないが、あの日の彼らの情熱がアメリカのコミックスの歴史を変えたこと、そして『ウォッチメン』こそが変革の象徴であることは紛れもない事実なのである。

TEXT BY 石川裕人