4.02.2009

「ウォッチメン」原作コミック解説(10) CHAPTER 4 [P109〜P121]

過去、現在、未来を全て同時に体感しているという、DR.マンハッタンの想像を絶する時間感覚に焦点を当てたエピソード。コマ毎にバラバラの時代を当てはめ、それらを一枚のページの上で同時に俯瞰できるコミックスだからこそ可能になった描写であり、P421のムーアの独白にもあるように、本人も相当に力を入れて臨んだエピソードだと言えよう。
ちなみにこのエピソードは、ストーリー的には全く進展しておらず、ひたすらDR.マンハッタンのオリジン(誕生秘話)に焦点を当てた内容となっているが、これは『ウォッチメン』が本来、6話構成のミニシリーズとして考えられていたためであり、12話構成となった時点で、各キャラクターのオリジンを挟み込むことにしたのだという。
そういった観点で全体を見直してみると、2話がコメディアン、4話がDR.マンハッタン、6話がロールシャッハ、7話がナイトオウル、9話がシルク・スペクター、11話がオジマンディアスのオリジンと捉えることができる。ナイトオウルのオリジンだけが具体的描写に欠けているが、スーパーヒーローの典型的なオリジンになりそうなので、敢えて省いたのだろうか。

<P109>
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パリセーズ遊園地:マンハッタンからジョージ・ワシントン・ブリッジを渡ったニュージャージー州バーゲン郡フォートリーの街に、かつて実在した遊園地。1895年の開園以来、ニューヨーク近郊の遊園地として人気を誇ったが、交通渋滞などに悩む近隣住民の反対により、1971年に閉鎖され、跡地は高層マンション群に生まれ変わった。

<P110>
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2億2700万㎞:太陽系の惑星は楕円軌道を描いているため、太陽からの位置はその時々で変化する。火星の場合、最短で20660万km、最長で24920万km、平均で22790万kmとなっているので、DR.マンハッタンが降り立った時点では、ほぼ中間の位置にあったことになる。

10分:光速を毎秒30万㎞とすると、2億2700万㎞を移動するには12分36秒程かかることになる。

冥王星:冥王星から太陽までの距離は、最短で44億4220万km、最長で73億8810万km、平均で59億1520万kmとなっている。冥王星に太陽の光が届くには、最短でも4時間6分43秒程かかることになるが…。

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ハレー彗星:約76年周期で地球に接近する短周期彗星。1985年近辺では、1986年2月9日に地球に最接近している。

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ブルックリン:マンハッタンからイースト川を挟んで南対岸に位置する、ニューヨーク市の5つの行政区の一つ。移民の多い独自の文化、風土を持った街として知られる。

<P111>
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アインシュタイン:アルバート・アインシュタイン(1879〜1955)。ドイツ出身の理論物理学者。相対性理論の提唱者で、物体の移動速度により、その個有の時間が変化すると説いた。ユダヤ系ドイツ人である彼は、1933年、ヒトラーが政権を取ると同時に渡米を決意。プリンストン高等学術研究所の教授に就任した。
1939年、ナチスドイツの核保有を懸念した亡命ユダヤ人物理学者らは、核の兵器利用を示唆した書簡を時の大統領ルーズベルトに提出。この書簡を機に、原子爆弾開発計画「マンハッタン計画」が始動する。アインシュタインは書簡に署名しただけであり、マンハッタン計画とは無縁だったが、戦後は核兵器廃絶と戦争廃止を訴え続けた。
1955年に死去したが、作品世界では、少なくとも1959年までは存命だった模様である。

時間の相対性:アインシュタインが1905年に唱えた特殊相対性理論、並びに1915年に唱えた一般相対性理論を指すものと思われる。アインシュタインが唱えた時間の相対性とは、光速や非常に強い重力下など、我々の日常で実感できるものではないが、時間は全宇宙において不変であるという従来のニュートン力学が覆された事実は、時計職人であるオスターマンの父にとって納得しがたい出来事だったのだろう。

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プリンストン大学:1746年に、ニュージャージー州プリンストンに創設された名門私立大学。物理・数学の分野で特に目覚しい実績を上げている。ちなみに『X-メン』などで人気のコミックアーティスト、ジム・リーの母校でもある(心理学専攻)。

<P112>
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グラス博士:フルネームはミルトン・グラス。ポケットに入っているのは、電卓のない時代に活躍した計算用具である計算尺。

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プリンストンに〜:アインシュタインは1955年に没するまでプリンストンで過ごしたが、劇中では59年の今も健在で、別の場所に移っているらしい。

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奥さんと折り合いが〜:アインシュタインは1903年に1度目の結婚をしたが、やがて従妹と不倫関係に陥り、19年に離婚してすぐに彼女と再婚している。しかし、彼女は渡米後の36年に癌で死去し、以後、アインシュタインは独身を通している。
劇中では、いずれかの時点で再婚した模様だが、あまりうまく行っていないらしい。

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イントリンジック・フィールド:直訳すると"物質固有の場"。造語と思われる。

<P114>
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太った男:すなわち"ファットマン"は、長崎に投下された原爆の愛称である。また、直前のコマの泣いている少年、すなわち"リトルボーイ"は、広島に投下された原爆の愛称であり、原爆の開発・投下が、DR.マンハッタン誕生のきっかけとなったことを暗示している。

<P115>
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スレーターが穿いているのは、シームのある古いタイプのストッキング。シームレスタイプは、1959年時点で既に発売されていた。

<P117>
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DR.マンハッタンのあまりに異様な姿に、兵士が這いつくばって嘔吐している。

<P119>
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アンドロメダ:地球から約230万光年の距離に位置する渦巻銀河。

エルンスト・ハルトヴィッヒ:(1851〜1923) ドイツの天文学者で、1885年にアンドロメダ銀河内の超新星を発見した。

超新星:重い恒星がその一生の最期に起こす大爆発のことで、従来知られていた新星よりも明るい"超"新星としてこの名が付けられたが、実際には星の最期の姿である。一つの銀河内で数十年に一度、発生する現象とされているが、実際の観測例は極めて少なく、『ウォッチメン』刊行時点では、1885年のハルトヴィッヒの観測例だけだった。しかし奇遇なことに、シリーズ刊行中の1987年2月、大マゼラン雲で新たな超新星が発見され、現代の天文学を大きく飛躍させた。

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三葉虫が生息していたのは、古生代のカンブリア紀から二畳期。約5億4500万年前から2億5000万年前の時期である。

:初期の宇宙に存在した元素はほとんどが水素とヘリウムで、それらより重い炭素、窒素、酸素、鉄などは、恒星内の核融合反応によって生成され、超新星爆発によって宇宙に拡がった。金など、鉄よりも重い元素は、超新星爆発の際に生成されたと考えられている。

<P120>
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DR.マンハッタンがシンボルに選んだのは水素原子。最も簡素な原子で、一つの陽子と一つの電子から成る。

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政府が用意したヘルメットに描かれたアトミック・シンボルは、原子力をパワーソースとするスーパーヒーローが必ずと言ってよいほど、身に付けていたものである。

DR.マンハッタンの名前は、第二次大戦中に、極秘裏に原爆を開発した「マンハッタン計画」にちなんだ物である。

<P121>
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ニュースを読み上げるアナウンサーは、スーパーマンの正体であるクラーク・ケントを思わせる。ちなみにクラーク・ケントは、70年代のコミックスで実際にアナウンサーを務めていた。

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パットン戦車:制式番号はM-48。1959年当時のアメリカ陸軍の主力戦車で、第2次世界大戦の名将ジョージ・S・パットン将軍の名を冠している。ちなみに前面装甲は120mm。

クレムリン:クレムリン宮殿に居を構えるソ連政府を指す。

PANEL4
当時、アメリカとソ連は国家の威信を賭け、総力を挙げて軍事、宇宙開発競争に取り込んでいた。ちなみにソ連が人類初の人工衛星スプートニクを打ち上げ、大陸間弾道弾を完成させたのが1957年。翌1958年にはアメリカも続いている。

TEXT BY 石川裕人