4.04.2009

「ウォッチメン」原作コミック解説(11) CHAPTER 4 [P122〜P136]

<P122>
PANEL1

このチャリティイベントは、インドの飢餓救済のために行われた物である。

PANEL2
ペンタゴン:アメリカ国防総省の通称。建物が五角形(ペンタゴン)であることから。

PANEL3
ご存じでしょう:この会話は、1963年12月に発売された『アクションコミックス』#309で、ケネディ大統領がスーパーマンと共演したことを指していると思われる。このエピソードでケネディは、クラーク・ケントに変装してスーパーマンの正体を守ってみせた。当時のケネディ人気の程がうかがえるが、皮肉にもこの号が発売されたのは、11月22日にケネディがダラスで暗殺された数週間後であり、DCは1964年1月発売の『スーパーマン』#168で予定されていたケネディの再登場を急遽キャンセルする事態となった。しかし、ジョンソン新大統領の要請により、同ストーリーは#170に掲載され、扉ページには亡きケネディ大統領に弔意を表すスーパーマンの姿が描かれた。
「スーパーマン#170」口絵


2年後:この謁見から約2年後の1963年11月22日、ケネディ大統領は遊説先のテキサス州ダラスで暗殺されることになる。なお、赤いドレスの女性は、ケネディの妻のジャクリーン、二人の子供は長男のケネディ・ジュニアと長女のキャロラインである。ちなみにその右側には、DR.マンハッタンのかつての上司であるミルトン・グラスの姿も見える。

<P123>PANEL4
ジェネラル・モーターズ:アメリカ最大の自動車会社。

PANEL6
ポリアセチレン・バッテリー:電気を通すプラスチック、ポリアセチレンを電極とするバッテリー。ポリアセチレンの発見者は、2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹博士である。1981年、その発見に着目した旭化成工業所属の吉野彰氏が、ポリアセチレンを負極、リチウムと酸化コバルトの化合物を正極とするリチウムイオン・バッテリーを発明。1990年代に実用化にこぎつけ、ノートパソコン、携帯機器など、広く使われるようになった。つまり、本作が発表された1986年時点では、まだ研究の途上にあったことになる。

リチウム:アルカリ金属の一つで、原子番号は3。電気自動車の心臓部であるリチウムイオン・バッテリーの電極として使用されるが、可採埋蔵量が1千万トン強と少ない点が問題視されている(鉄は1兆トン)。なお、リチウムはビッグバンによって合成され、以後、星内部の核反応や、より重い元素の破砕反応といった宇宙的スケールの諸現象によって生成されてきたが、それを簡単に合成できると言ってのけるDR.マンハッタンとは…。

PANEL7
ディーリー広場:ダラスのダウンタウンにある広場。空港から演説会場までオープンカーでパレードを行っていたケネディ大統領は、この広場にさしかかったところで、2発の銃弾を受け即死した。

<P124>
PANEL3

壁にかけられた画は、スペイン出身の画家サルバトーレ・ダリ(1904〜1989)の代表作『記憶の固執』(1931年作)。柔らかい時計の別名で有名なこの画は、相対性理論を反映した歪んだ時空を通して、生と死を描いているとされるが、本作においては、DR.マンハッタンの奇妙な時間感覚を象徴しているようでもある。
なお、原子爆弾の登場にショックを受けたダリは、次の戦争で世界は消滅するとの考えから、原子核の崩壊という概念を反映させた『記憶の固執の崩壊』を1952年に発表している。
「記憶の固執」


PANEL7
中央に金属球が浮いた、水素原子を模したイヤリングも、DR.マンハッタンの新技術の産物と思われる。後に、ローリーにも同じ物を贈っている(P129 PANEL6参照)。

<P125>
PANEL2

シルク・スペクターの本来のイヤリングは、彼女のイニシャルであるSを模った物。DR.マンハッタンから水素原子イヤリングを贈られてからは、そちらに付け替えている。

<P126>
PANEL4

DR.マンハッタンから贈られたイヤリングを投げ捨てるスレーターの姿は、イヤリングを外して家を出たローリーに重なる(P80参照)。DR.マンハッタンにとっては、イヤリングを外すことが別離の合図なのか。

PANEL6
卓上の時計は、おなじみの11時54分を指している。

<P127>
PANEL1

父親の病室の時計も、11時54分を指している。ベッドの周囲の様子から、苦しみぬいての最期だったことが伺える。

PANEL3
1971年当時のアメリカは、ベトナム解放軍への補給ルート、いわゆるホーチミンルートを分断するため、北ベトナムへの空爆を遂行したが、国際的な非難を浴びる結果となった。作品世界において、国力を圧迫していたベトナム戦争を早期終結させるため、ニクソン大統領がDR.マンハッタンの派遣を考えたことは当然の帰結と言えよう。現実においては、彼は翌72年にソビエト、中国への訪問を果たし、両国との緊張関係を緩和させると同時に北ベトナムの孤立化を図っているが、作品世界においては、DR.マンハッタンの存在を楯に、両国への態度を硬化させていったものと思われる。

キューバを話題に〜:1961年4月、ケネディはキューバのカストロ政権打倒のため、アイゼンハワー前政権から引き継いだキューバ侵攻作戦を実施した。計画は、国籍を隠した米空軍機が援護する中、亡命キューバ人部隊がキューバ中央のピッグス湾から上陸、カストロ政権の転覆を狙うというものだったが、2000人の亡命キューバ人部隊に対しキューバ軍は20万人の大部隊で応戦するなど、計画の甘さが次々と露呈した結果、計画は大失敗に終わり、アメリカは面目を失った。計画を強行したCIAへの不信感を強めたケネディは、CIA幹部を更迭し、組織の解体を宣言するも、実行に移す前に暗殺されてしまう(このCIAとの軋轢が暗殺の原因だとする説もある)。
劇中でケネディがDR.マンハッタンをキューバに派遣しなかったのは、共産圏への悪影響を憂慮してのことと思われるが、小国キューバ相手に彼を出すまでもないと相手を見くびっていた、あるいはDR.マンハッタンの力をまだ秘匿しておきたいとの考えがあったとも考えられる。
なお、DR.マンハッタンのモデルとなったキャプテン・アトムには、1960年の登場当初、時の大統領アイゼンハワーの命により共産主義者と戦っていた経緯がある。
キャプテン・アトム


PANEL4
ブレイクによりそっている女性は、後に射殺された女性と同一人物。

PANEL6
バッジに垂れた汗の雫がおなじみのパターンを描いている。

<P128>
PANEL1

ベトコン:南ベトナム解放民族戦線、いわゆる北ベトナムの通称。越南共産(ベトナム・コンサン)の略。

<P129>
PANEL1

結局、ニクソン大統領が提出した憲法修正法案は可決され、彼は76年、80年、84年と、実に5期に渡って大統領の座に居座り続けることになる。

PANEL3
ブバスティス:ブバスティスの名は、エジプト神話に登場する猫面の女神の名前から取られている。

PANEL4
従来の飛行船は浮揚剤に水素ガスを使用していたため、発火・爆発の危険性がつきまとっていたが、DR.マンハッタンが何らかの解決策を見出したものと思われる。

<P130>
PANEL3

DR.マンハッタンとシルク・スペクターが警備しているのは、ホワイトハウス。同じ頃、コメディアンとナイトオウル、ロールシャッハはニューヨークの暴動鎮圧に当たっていた(P56参照)。

<P131>
PANEL1

このアナウンサーは、1960年にDR.マンハッタンの登場を伝えたアナウンサーと同一人物だと思われる。あれから17年が過ぎ、中年太りが目立つ。

PANEL3
イランのアメリカ大使館人質事件が起きたのは1979年のこと。当時のイランは新米王制の治世下にあったが、アメリカの支援による近代化の一方で、イスラム教は弾圧の対象となっていた(ソビエトの南に位置するというイランの地理的条件が、アメリカの思惑だった)。この状況に不満を抱いたホメイニ師らイスラム教指導者層は、1978年にイラン革命を決行。翌79年1月、時の国王パーレビがエジプトに国外逃亡し、イランはイスラム国家へと生まれ変わった。
後にアメリカがパーレビ元国王の亡命を受け入れたことから、反発したイスラム法学生らが11月4日にテヘランのアメリカ大使館を占拠し、大使館員とその家族約50名を人質に元国王の引渡しを要求した。この事態に当時のカーター米大統領は、80年4月、米四軍を総動員した人質救出作戦"イーグルクロー"を実施するが、砂嵐などの突発事故が重なり、作戦は無残な失敗に終った。武力による解放を断念したアメリカは交渉による解決を目指し、同年7月にパーレビ元国王が死去したこともあり、翌81年1月、人質は444日ぶりに解放される結果となった。
なお作品世界では、コメディアンの活躍により、イーグルクロー作戦は見事に成功した模様。

PANEL6
死体はハーベイ・チャールズ・ファーニス(P205参照)。

<P132>
PANEL4

画面右の男性が被っているヘルメットはヴェイト社の製品。耳の部分の形状から、ラジオを内蔵しているものと思われる。

PANEL6
グランド・セントラル駅:マンハッタンのターミナル駅。天井の高い広々としたコンコースが特徴(ホームはすべて地下にある)。

タイム:実在の週刊誌。創刊は1923年で、世界初のニュース雑誌でもある。ちなみに、実際にタイムが1985年8月近辺で原爆関係の特集を組んだのは、7月29日発売号で、表紙はキノコ雲の写真だった。ちなみに、タイム社は1989年にDCコミックスの親会社のワーナー・コミュニケーションズと合併し、タイム・ワーナーとなり、DCコミックスを配下に収めた。

前のコマと相似した構図に注目。母と息子(スレーターとオスターマン)、父と娘(DR.マンハッタンとローリー)という両者の関係の暗示か。

PANEL7
懐中時計:この懐中時計は実在するもので、原爆投下の午前8時15分に止まったまま広島の平和記念資料館に展示されている。なお、DR.マンハッタン誕生のきっかけとなったスレーターの時計も同じ時刻で止まっているが(P114PANEL9参照)、朝の8時に遊園地に行くとは考え難い。象徴的な時刻と考えるべきだろう(ちなみに前のコマの駅の時計も同じ時刻を指している模様)。
ところで、キャプションには懐中時計(pocket watch)と書かれているが、画はどう見ても腕時計である。原爆資料館には、懐中時計も腕時計も展示されているため、アーティストのギボンズが混同したのだろうか。

<P136>
PANEL5

ノーダス・ゴルディ山:火星北西部に位置するシールド火山。

PANEL6
広島、長崎への原爆投下を知ったアインシュタインの言葉(1945年)。