3.26.2009

「ウォッチメン」原作コミック解説(7) CHAPTER 3 [P75〜P89]

<P75>
PANEL1

直前のコマのセリフをそのまま続けて次のコマの内容を補完するという手法は、1話の冒頭から使われていたが、この3話からは、バーニィ少年が読んでいるコミック『黒の船』の内容が、一冊のコミックとして成立していながら、同時にメインのストーリーにも絡むという、より複雑な手法が試みられている(ただしその結果、バーニィは一冊のコミックをいったい何時間かけて読んでいるんだ、という突っ込みもできてはしまうのだが)。
マガジンスタンド(映画版より)


PANEL3
カストロ:フィデル・カストロ(1926〜)。キューバ国家評議界議長・首相(2008年に退任)。1959年、民族民主革命を標榜し、当時のバティスタ独裁政権を打倒して革命政府の首相となった。アメリカからわずか150キロの島国に社会主義国家が建設されたことに対する米政府の危機感は大きく、60年代には、幾度となくカストロ政権転覆が試みられたが、いずれも失敗に終っている。

PANEL4
3度の心臓手術後〜:1913年生まれのニクソンは、1985年の時点で72歳。彼が3回もの心臓手術に耐えられたのは、DR.マンハッタンの開発した新たな医療技術のおかげであろう。なお、ニクソンが心臓病を患っていたという事実はなく、死因も脳卒中が原因だった。

プロメシアン・タクシー:プロメシアンの名は、ギリシャ神話の神で先見の明を持つ者プロメテウスに由来する。

背景の市公用車のボディに描かれたリンゴは、実際のニューヨーク市の愛称ビッグ・アップルに因む。荷台には核シェルターの看板が山と積まれており、緊迫した社会状況が伺える。

バーニィのパンツの左ヒザには継ぎが当ててある。家庭の経済状況が察せられる。彼が履いているスニーカーにはヴェイト社のロゴが入っている。

<P76>
PANEL4

バーニィの吸っている煙草も手巻きである。読むのに何時間もかかるコミック同様、煙草も何時間経ってもなくならない(足元に吸殻が落ちていない)。

PANEL5
アトラス:ギリシャ神話に登場する巨人。神々に反抗した罪として、生涯、天空を支えることを命じられた。

『黒の船』のページは、1960年代に作られたコミックの雰囲気を出すために、わざとドットの荒い着色が成されている(1986年発売のオリジナル版では、色の使い方を変えることで、制作年代の違いを表現していた)。デジタル彩色ならではの効果と言えよう。

PANEL9
コバックスの背後に見えるユートピア劇場の看板は、古典SF映画『宇宙水爆戦』のもの。『宇宙水爆戦(原題:この島たる地球)』は1955年製作のSF映画で、メタルーナとザーゴンの宇宙戦争に巻き込まれた地球人科学者の活躍を描く。

<P77>
PANEL2

ナショナル・エグザミナー:架空の新聞。ヨタ話ばかり集めたタブロイド新聞と思われる。モデルは、実在のゴシップ紙『ナショナル・エンクワイラー』か。

クイーンズ:ニューヨーク市の五つある行政区の一つで、マンハッタンからイースト川を挟んで対岸に位置する。

背後の研究所の表示がフキダシなどで隠れた結果、"DIE(死ぬ)"という部分だけが目につく。実際、このコマに描かれた3人は、生きて結末を迎えることはない。

PANEL6
ネメシス:ギリシャ神話に登場する、天罰と復讐の女神。目を布で覆い、完璧なまでに公平な裁きを下す。

<P79>
PANEL5

二人のDR.マンハッタンを象徴するかのように、机の上に二組のビンが並んでいる。

PANEL9
JFKの暗殺:1963年11月22日、ダラスで起きたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件のこと。その日の内にソビエト帰りの青年リー・ハーベイ・オズワルドが犯人として逮捕されたが、2日後、ダラス市警本部から郡拘置所への移送中に、バーの経営者で裏社会ともつながりを持つジャック・ルビーによって射殺された。ケネディ大統領暗殺に関する大統領特命調査委員会、通称、ウォーレン委員会は、オズワルドの単独犯行と結論づけたが、マフィア、CIAなどの陰謀説も根強く、未だに真相は解明されていない。ちなみに、現行犯逮捕されたルビーは獄中で「誰かに癌細胞を注射された」などと不可解な言動を繰り返していたという(1967年、肺塞栓症で死亡)。

JFK:ジョン・F・ケネディ(1917〜1963)。第35代合衆国大統領。民主党所属。1960年の選挙で、共和党候補ニクソンを破り、史上最年少の43歳の若さで大統領の座に就いた。就任早々に起きたキューバ危機では、ぎりぎりの所で核戦争を回避。その後も、ベトナム派兵、公民権問題など、幾多の難局に直面したが、1963年、志半ばにして、遊説先のダラスにて暗殺された。その就任期間はわずか3年でしかなかったが、若き理想家、新時代の旗手というイメージは、今なお多くの国民の胸に生き続けている。

<P80>
PANEL6

ローリーを乗せたのは、ゲイのタクシー運転手ジョーイ。ローリーが気になるのか、バックミラーでチラ見している。橋を渡っていることから、ロックフェラー軍事研究所はマンハッタンの外にあることがわかる。

ローリーがイヤリングを外していることに注意。DR.マンハッタンとの別離の意志の表れか。

<P81>
PANEL1

スレーターの咳の激しさに、画面右奥で話し込んでいた二人が思わず振り返っている。

PANEL2
コミックショップ「宝島」のウィンドウに貼ってあるポスターの文字は「バウンティ号の反乱」。1789年、南太平洋を航行中のイギリスの軍艦バウンティ号で乗員の反乱が発生。乗員たちは船を乗っ取った上、艦長らを救命艇に乗せて追放した。この事件は何度も映画化されており、作品世界でも、話題のコミックスになっているようである。

PANEL3
激しく咳き込んだせいで、スレーターはコップを倒してしまっている。次のコマの彼女のセリフ「一度、壊れてしまえば、二度と元には戻らないものも〜」に近い意味の慣用句「It's no use crying over spilt milk(こぼれたミルクを嘆いても無駄)」を連想させる描写。

PANEL4
鍵屋の男が鍵を修繕しているが、スレーターのセリフ「一度、壊れてしまえば、二度と元には戻らないものも〜」の通りに、結局、この鍵は壊され続ける運命にある(P98 PANEL7P252 PANEL1P268 PANEL1参照)。
壊されるという意味では、モーロックの部屋の鍵も同様であり(P165 PANEL6参照)、ムーアが、アレキサンダー大王が一刀両断したゴルディアスの結び目=ゴルディアン・ノットを社名に選んだ時点で、これらの鍵の処遇は決まっていたのだろう。

背後でジョーイのタクシーがUターンしていることからも、「宝島」とドライバーグのアパートの位置関係がわかる。

PANEL6
作業中にもかかわらずドアを開けるローリーに、鍵屋の男がイラついている。

<P82>
PANEL4

電気ポットにもヴェイト社のマークが入っている。取っ手の先のボタンを押すとお湯が沸く仕組みらしく、沸かしている間はランプが点灯している。

PANEL5
砂糖が一個しか入っていないのは、ロールシャッハが持って行ってしまったため(P17 PANEL6参照)。

<P83>
PANEL3

お湯が沸いたので、ランプが消えた。

PANEL4
クォーク:レプトンと並び、物質を構成する最小単位とされる素粒子。通常の環境下では、クォークのみを陽子などから取り出して観察することは不可能とされているが、DR.マンハッタンならば可能なのかもしれない。

PANEL9
カレンダーのフクロウの目が、DR.マンハッタンの目にダブる。実は二人の関係を見通していたことの暗示か。

<P84>
PANEL1

若干、わかりにくいが、コーヒーに映ったローリーの右目と波紋が、スマイリーの血痕に似たパターンを描いている。

PANEL6
宙に浮いたカフスボタンも一緒にテレポートしている。

PANEL8
ABCテレビ:正式名称は、American Broadcasting Companiesの略。実在の放送局で、CBC、NBCと並ぶアメリカ3大ネットの一つ。本社はマンハッタンの西66丁目に位置する。

<P85>
PANEL2

二人が歩いているのは、40丁目と七番街の角。DR.マンハッタンがいるABCテレビ本社とは、直線距離にして2㎞程の位置。

画面手前のポスターは『宇宙水爆戦』のもので、メタルーナ人の奴隷である昆虫人間メタルーナ・ミュータントが描かれている。画面に右端に見えているのは、ユートピア劇場の次回上映作品『来るべき世界』のポスター。『来るべき世界』は1936年製作のSF映画の古典で、原作者で、SFの父とも称されるH.G.ウェルズが脚本も担当している。1940年に起きた世界戦争によって絶滅の危機に瀕した人類の、百年に及ぶ復興の歴史を描いた大作。
(左)宇宙水爆戦(右)来るべき世界 ポスター


PANEL6
ストリートギャングのジャケットの背中に書かれている文字は、漢字の"反"。アンチの意味か。

<P86>
PANEL3

番組の司会者の名前はベニー・アンガー。

PANEL5
バックス・バニー:ワーナー・ブラザーズのアニメーション『ルーニー・チューンズ』のシンボル的存在であるウサギのキャラクター。人を食った性格で、「どうしたんだい、ドク?(What's up, Doc?)」の決まり文句でいつも相手をからかっている。ちなみにワーナー・ブラザーズは『ウォッチメン』の発売元であるDCコミックスの親会社である。
バックス・バニー。日本語吹き替えでは「どったの、センセー?」


<P87>
PANEL3

DR.マンハッタンの相棒:英語で表記すると"DR.MANHATTAN'S BUDDY"。この表現は、スーパーマンの友人でデイリー・プラネット紙のカメラマンであるジミー・オルセンのかつてのニックネーム"SUPERMAN'S PAL"にちなんだものと思われる。60年代当時の、ウォリーとDR.マンハッタンの親しい関係が伺える。

<P89>
PANEL1

ワシントン・ポスト:1877年に創刊された実在の有力紙。ウォーターゲート事件を暴いたことで有名。左寄り、リベラルな編集姿勢で知られる。

PANEL3
エンクワイラー:実在のタブロイド紙『ナショナル・エンクワイラー』のことと思われる。質問の内容もそれらしい。

TEXT BY 石川裕人