3.28.2009

「ウォッチメン」原作コミック解説(8) CHAPTER 3 [P90〜P100]

<P90>
PANEL2

アドレナリン:興奮、怒り、恐怖などを感じた時に分泌される副腎皮質刺激ホルモン。

PANEL6
画面奥の時計が7時40分あたりを指している。ようやく時計が時計としての役割を果たし始めたようだ。

<P91>
PANEL2

ニュー・フロンティアズマンの広告の"正しい(RIGHT)"に、翼を意味する"WING"が落書きされ、"RIGHT WING"に(右翼、RIGHTには右の意味もある)なってしまっている。街に落書きをするような若者が同紙をどう思っているか、また、同紙がどのような政治傾向を持っているかが伺える。
なお広告の文句は、1964年の大統領選挙に出馬した共和党候補バリー・ゴールドウォーターのスローガン"IN YOUR HEART, YOU KNOW HE MIGHT(あなたの心に彼は正しい)"をもじったもの。厳しい予備選を勝ち抜いたゴールドウォーターだったが、民主党のジョンソン陣営によって、右翼、人種差別主義者とのレッテルを貼られた末、歴史的大敗を喫した。

PANEL7
初代ナイト・オウルの立像の足元に布が見える。ドライバーグを待ちながら、一人寂しく磨いていたのか。

PANEL8
カメラごと〜:該当するコマでは(P90 PANEL3)、カメラはまだスタジオにあるように見えるが、テレポート前のコマ(P86 PANEL3)と見比べると、ステージ正面のカメラらしき機械が消えている。ただし、これらのカメラは有線式であるため、スタジオから離れて使えるとは考え難い。P89 PANEL3のハンディカメラが、カメラマンごと飛ばされたのか。

<P92>
PANEL1

ノヴァ・エクスプレスの遅配は予定の行動であるが、スレーターのインタビューが取れたのは発行日当日だった。彼女なりのためらいがあったのかもしれない。

PANEL2
ノヴァ・エクスプレスの配達員がトラックに充電している。次のコマではもうソケットを外しているので、驚くほど短時間で充電できるものと思われる。

画面奥にドライバーグとローリーの姿が見える(P85 PANEL2参照。そちらのコマの画面奥にも注意)。このコマで一旦、時間軸が戻っていることになる。まったく油断も隙もならない。

<P93>
PANEL1

兵士が口ずさんでいるのは、ポリスのアルバム『白いレガッタ』(1979)収録の「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」。

PANEL2
本来の扉の色は黄色だが、DR.マンハッタンが発する蒼い光に照らされて薄緑に見える。テレポートの瞬間とその後の色の変化にも注意(PANEL6,7)。

PANEL6
全てが青に染まる中、筆のペンキだけが真っ赤に塗られている。赤=赤い星=火星と、DR.マンハッタンのその後の行動の暗示か。

<P94>
PANEL1

ジーラ・フラット:アリゾナ州中央部の平原。ちなみにアリゾナ州は、原爆開発計画"マンハッタン計画"の中心地となったニューメキシコ州の西隣に位置する。

実験場の標語「苦難を乗り越え、星の彼方へ」は、ラテン語で書かれている。

夜空に赤い星が見える。火星か。

PANEL4
これまでは絶妙に隠してきたが、ついにDR.マンハッタンの性器が描写された。DR.マンハッタンのコスチュームの面積は、彼の人間性の多少を象徴しており、その意味でも全裸の描写は避けて通ることはできなかったが、前例のないことでもあり、いつ、どこで見せるかにはかなり気を使ったという。また描写の仕方も懸案だったらしく、古代彫刻のような簡略化した描き方をすることで、余計な過剰反応を避けたという(これは私見になるが、DR.マンハッタンの肌が"ブルー"という非人間的な色だったこともプラスに働いたと思われる)。
なおムーアは、ウォッチメンと同時期にエクリプスコミックスで連載していた『ミラクルマン』#9(7/86)において、コミックス史上初となる本格的な出産シーンを描いている(ちなみに産まれたのはミラクルマンの娘)。まるで記録フィルムを見せられているようなリアルな出産描写は、DR.マンハッタンの全裸よりもはるかにショッキングなシーンであったため、同号の表紙には「おうちの方へ このエピソードには写実的な出産シーンが含まれています」との一文が加えられた(そもそも『ミラクルマン』自体、親が子供に買い与えるようなコミックスではないのだが…)。いずれにせよムーアは、性器に関するアメリカンコミックスのタブーをほぼ同時期に破ってみせたことになる。
出産シーンが描かれた「ミラクルマン#9」表紙


PANEL5
奇抜と魅惑:この標語は、クォークの一種であるストレンジ(奇抜)とチャーム(魅惑)と一致するが、標語は1959年の時点で既にボードに書かれており(P113 PANEL4)、クォークの存在が提唱されたのが1964年であることから、偶然の一致と見るべきだろう。

<P96>
PANEL3

はずれですな:DR.マンハッタンの失踪が第三次世界大戦を招きかけたという意味では、はずれどころか大当たりである。
ところで、世界終末の前兆といった超自然的な物言いは、無神論者のロールシャッハにはそぐわないし、P437のロールシャッハに関するムーアの説明でも、彼は狂信家を装っているとされているが、予言が的中している以上、ただの戯言とも思えない。そこまで徹底して、狂信家のコバックスになりきっているということか。あるいは、それが彼の本質なのか。

PANEL7
話しかけても返事をしない少年とスタンドの店主の関係は、構図的にも物言わぬ死体と漂流者の関係に重なる。

<P98>
PANEL3

時計は7時25分あたりを指している。ロールシャッハは、こんな朝からあの格好で街をうろついているのだろうか。

PANEL6
ロールシャッハが手にしているのは、ヴェイト社の香水ノスタルジアの瓶。丸い女性用とは形が違う( P43 PANEL2参照)。

PANEL7
ひと捻りで壊れた:あれだけ言われても、隠し通路を使うつもりはないらしい。

PANEL8
断りもせずに香水を胸ポケットにしまうロールシャッハ。さしもの彼も自分の臭いが気になるのか。

<P99>
PANEL2

ピラミッド宅配社のトラックが充電中。

PANEL3
フラッシュマン:1940年に登場したDCコミックスのヒーロー、初代フラッシュのことか。名前を間違っているが、もう昔のことなのでうろ覚えなのだろう。
初代フラッシュ


PANEL7
バーニィ少年のパーカーもヴェイト社の製品。

<P100>
PANEL1

赤い星:DR.マンハッタンが消えた途端、俄然、張り切り始めたソビエトを揶揄した表現。赤は共産主義を象徴する色である。

PANEL2
ニクソン大統領の椅子の背中に貼られているのは、合衆国大統領の紋章。

PANEL5
状況がわかりにくいが、DR.マンハッタンは岩にこしかけて、膝に両手を置いている。このコマだけ、時間軸が少し進んでいる(P102 PANEL4参照)。

PANEL6
大統領の右隣で大騒ぎしているのは、キッシンジャー国務長官。
ヘンリー・キッシンジャー(1923〜):高名な国際政治学者で、安全保障問題への提言を見込まれ、1968年に国家安全保障問題担当大統領補佐官としてニクソン政権に入閣、73年からは国務長官も兼任した。高い外交手腕で知られ、当時、ソビエトと対立していた中国と和解し、米ソの冷戦構造を米中ソの三極構造に組み替えることでデタントを推し進めると同時に、中ソの支援を受けていた北ベトナムを孤立させ、ベトナム戦争を和平に持ち込むなど、国益を第一に考える現実主義的な外交政策を展開した(一方で理想主義者たちは、中ソと手を結ぶニクソンとキッシンジャーの政策に不満を持っており、79年のソビエトのアフガニスタン侵攻をきっかけに新たな冷戦構造を推し進め、レーガン政権下で新保守主義が台頭することになる)。ニクソン辞任後はフォード政権でも国務長官を務めたが、フォード政権の終焉とともに退任。以後、国際政治の専門家として内外に大きな影響力を発揮し続けている。

TEXT BY 石川裕人