反コミックス運動:第二次大戦後、アメリカンコミックスの主流であったヒーローものの人気は低迷し、代わってホラーもの、犯罪ものが台頭してきた。これらの"刺激"が強いコミックスは、主に青年層が対象だったというが(誕生当初、コミックスは子供のための読みものだったが、大戦中、兵士が戦場でコミックスを読み耽ったことから、読者層が広がったとの説がある)、その内容は過激さを増し、一部、評論家や教育関係者から児童への悪影響が問題視されるようになっていった。そして1954年春、上院少年非行小委任会が、少年非行の原因としてコミックスを名指ししたことから、全国的な反コミックス運動が起こり、焚書や発禁措置を引き起こした。
この事態に対しコミック業界は、内容の自主規制で対応したが、作品世界においては、政府が配下のヒーローのイメージを守るため、現実同様に沸き起こったコミックス排斥運動を静めたとされている。
政府の糾弾がコミック業界を危機的状況に追い込んだ史実からするといかにも皮肉な展開だが、ムーアなりの抗議とも言えるだろう。
EC社:エンターテイニングコミックスの略。世界初のコミックブック『ファイマス・ファニーズ』を企画し、コミックスの父と言われたマックス・ゲインズ(1894〜1947)が、1944年にDCコミックスから分かれる形で興した出版社(ECという名称にはDCの次という意味もあった)。
マックスの死後、同社を受け継いだ息子ウィリアムは、1950年にホラーもの3タイトル『ヴァルト・オブ・ホラー』『テールズ・フロム・クリプト』『ホーント・オブ・フィアー』を創刊し、悪化する一方だった業績の回復を狙ったが、ヒーローものの人気低下とも相まってこれらの新タイトルは大ヒットを記録。その後も同社は犯罪もの、戦争ものなど、刺激的な作品群を連発し、一躍コミック業界にその名を轟かせた。
ホラーブームに沸いたコミック業界は、1953年にはついに年間総販売数8億部という史上空前の売上を達成するが、内容の過激さはエスカレートするばかりで、ついに政府当局の目に止まることになる。同年、心理学者フレデリック・ワーサムが発表した、コミックスの児童への悪影響を訴えた書籍 『無邪気さの誘惑(原題:SEDUCTION OF THE INNOCENT)』の主張に、赤狩りの余韻の残る世論が同調したことで、全国的な反コミックス運動が起きたのである。批判の矢面に立たされる恰好になったEC社は、1956年には発行タイトルの全廃刊を決定。ギャグ雑誌『MAD』に光明を見出していく。
一方、各出版社は共同で、暴力、性などの描写を厳しく規制するコミックス・コードを制定。自ら内容規制に乗り出すが、その後の数年で、コミックス専門出版社の29社中24社が廃業に追い込まれるなど、あまりに大きな痛手を負った(1960年時点での年間総販売数は約1億8千万部)。その後、一度は姿を消したスーパーヒーローたちが装いも新たに復活し、アメリカンコミックスの主流となっていくが、こと部数という点では、1950年前半の"黄金時代"には及ぶべくもなかった。
ECコミックスの隆盛は、結果的にコミックス全体の衰退を招いてしまったが、ジャック・デイビス、ハービー・カーツマン、ウォリー・ウッド、アル・ウィリアムソン、フランク・フラゼッタなど、多くの名アーティストを輩出した実績は今なお高く評価され、その遺産は、作家スティーブン・キング、映画監督ジョージ・A・ロメロなど、コミックス以外の分野にも広く受け継がれている。
エドガー・フーバー:(1895〜1972) 1924年から72年に死去するまで、約半世紀にわたってアメリカ連邦捜査局(FBI)長官の座にあった人物。自ら育て上げた強大な組織を意のままに操り、影の大統領とまで評された。
ナショナルコミックス:『ウォッチメン』の発売元であるDCコミックスが、当時、使用していた社名。DCコミックスの"DC"とは、同社で最も古いタイトルである『ディテクティブコミックス(DETECTIVE COMICS)』の頭文字で、長く愛称として使われてきたが、実際の社名は"ナショナル"のままだった。社名が正式にDCコミックスとなったのは、1976年のことである。
『黒の船』:作品用に創造された架空のコミックス。1960年5月創刊で31号続いたということは、1962年11月まで発売されたことになる。ただし、当時は隔月刊のコミックスも多かったので、その場合は64年6月までの発売となる。ちなみに、実際に1960年5月に創刊されたDCのタイトルは『グリーンランタン』。
再販:DCは『テイルズ〜』の初期30号を再販しているということなので、バーニィが呼んでいる『テイルズ〜』も、そのリプリント版だと思われる(3話で読んでいたのが23号で、5話から11話にかけて読んでいたのが24号)。
ちなみに、創業当初、発行部数が少なかったマーヴルコミックスは、後に、新規のファンに向けて盛んにリプリントを行ったが、DCは、30号とまとまった形でのリプリントはほとんど経験がない。
『パイレシー』:ECコミックスが発売していた実在の海賊ものコミックス。1954年10月から55年10月にかけて7冊が発売された。
『バッカニア』:同じく実在の海賊ものコミックス。作品中ではECコミックス発売となっているが、実際にはクオリティコミックスから発売された。1950年1月から51年5月にかけて8冊を刊行。
ジョー・オーランドー:(1927〜1998) 実在のコミックアーティスト。50年代から、ECコミックスを中心にホラーものなど様々な分野で活躍し、68年からはDCコミックスの編集者となり、後に副社長にまで昇格した。92年からはギャグ雑誌『MAD』の共同発行人も務めた。なお、ムーアが『テイルズ〜』の初代アーティストとしてオーランドーを取り上げたのは、もし実際にこうした海賊ものコミックスが発売されていたら、編集長のシュワルツは間違いなくオーランドーを起用していただろうと考えたためである。
ジュリアス・シュワルツ:(1915〜2004) 実在のコミック編集者。1944年から86年の引退まで、スーパーマン、バットマンなど、DCコミックスの主だったタイトルの編集長として辣腕を振るった。古参のSFファンとしても有名で、レイ・ブラッドベリとは特に親交が深かった。
引き抜いた:オーランドーは1968年にDCに入社するまでフリーランスを通しており(DCでの初仕事は66年)、全くの創作である。
マックス・シェア:性格や振る舞いから判断して、ムーアは自らをシェアのモデルにしていると思われるが、シェア同様、やがて(一時期)コミックスの表舞台から消えることになる。
三文オペラ:ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトと作曲家カート・ヴァイルの手になる戯曲。18世紀の古典 『乞食オペラ』の翻案で、社会の偽善を鋭く風刺した。1928年初演。
<P172>
挿絵は、ジョー・オーランドー本人が、1960年代当時の雰囲気で描いたもの。
挿絵の英文の訳:
この召使いも疲れ切ったで、鍋に落として皮を剥げ。皮から太鼓を作りだし、撃ち鳴らす間に大砲を撃て。大砲から生首撃ちだして、海をラム酒で燃やし尽くせ
俺が歩くは曲がった板子。天まで臭う塩漬け地獄。おめえらの世界とて変わりはせぬ。悪徳坊主はおしろい塗って、納骨堂までしゃなりと歩き、富み栄えるのは女と睦む卑劣な悪党どもばかり
(訳:海法紀光)
エドワード・ティーチ:1716年から18年にかけてカリブ海を荒らし回ったイギリス出身の海賊。豊かな黒髭がトレードマークで、その姿は海賊の一般的なイメージとなった。最後はイギリス軍との戦いに敗れ、首をはねられたという。
<P173>
背景に置かれたDCのロゴマークは、1949年から70年にかけて使用されたもの。
ウォルト・ファインバーグ:架空のコミックアーティスト。オーランドーの後を継ぎ、『テイルズ〜』の10号から最終号までの作画を手掛けたとされる。ファインバーグの作とされている絵は、もちろんギボンズが描いているが、ファインバーグの経歴はギボンズのそれと共通点があるようには思えない。
西部劇:アメリカの時代劇とも言うべき西部劇には、小説であれ映画であれ、常に子供向けの作品が存在していたが、コミックスでも一つのジャンルとして高い人気を誇った。そのピークは1948年から58年であるとされ、ほとんどの出版社が西部劇を発売していた。
この時期はTVでも子供向け西部劇が人気を博しており、それらの主人公を主役にしたタイアップコミックが数多く発売され、中には、大御所中の大御所であるジョン・ウェインが主人公のシリーズまであった。
ギル・ケイン:(1926〜2000) 実在のコミックアーティスト。40年代から亡くなる直前まで、およそ考えうる出版社、キャラクター、ジャンルの全てを手掛けたベテランアーティスト。確かなデッサン力に裏打ちされた独特のデフォルメセンスは、数多くのアーティストの手本となった。
アレックス・トス:(1928〜2006) 同じく実在のコミックアーティスト。高校卒業後の47年からDCで仕事を始め、60年代からはTVアニメに進出し、ハンナ・バーベラを中心に多くの番組のキャラクターデザインを務めた。ぎりぎりまで簡略化されながらも雄弁な描線が持ち味。
<P174>
居場所は不明:この『宝島』というコミック研究書が1984年に発売されたということは、シェアは84年か83年にヴェイトに雇われたことになる。
オーバーストリート・プライスガイド:実在のコミックプライスガイド。ボブ・オーバーストリートが編集長を務め、1970年の創刊以来、毎年、改訂版が発行され続けている。19世紀末のコミックス創世記から現在までにアメリカで発売されたほとんどのコミックスを網羅しており、コミックスカタログとしての意味合いも大きい。
千ドル:1984年の時点で千ドルのプレミアがついているとは、スパイダーマンの初登場号である『アメイジング・ファンタジー』#15が、1982年の時点で同じ千ドルだったことを考えると、『黒の船』はかなりの人気タイトルと言えよう(ちなみに、2009年現在の『アメイジング〜』#15の相場は、コンディションにもよるが、約5万ドル)。